善光寺の戒壇巡り
信州(長野市)の観光名所として有名な善光寺には、真っ暗な本堂の床下を手探りで歩いていき、壁にある金具(錠前)に触るとご利益があるという「戒壇巡り」という場所があります(今風に言うと「アクティビティ」の一種なんでしょうが、寺院でその表現はなじまないですね…)。
https://www.zenkoji.jp/meguru/
私は45年ほど前に親に連れられて行ったときのことを今でも鮮明に覚えているのですが、当時と同じくらいの年頃の我が子を、先日そこに連れて行き、非日常体験としてやらせてみました。
オフシーズンの早朝だったので、前後に他の入場客はおらず、子供と2人だけで真っ暗な通路を進みます。無事、錠前にも触ることができました。私が以前に体験した45年前のときは、他のお客と行列で入ったので、前を歩いている人の声「あったあった!」はするし、錠前をガチャガチャする音もしました。当時のことは今でもはっきり思い出せますが、それはたいそう興ざめでした。
今回はそれがなくて良かったです。もっとも現代では、混雑の中で戒壇巡りに行くと、スマホなどの小道具で周囲を照らしたり、写真を撮るなどの不届き者がいないか心配ですが。
それはさておき、今でも45年前のことを思い出せる私と比べて、はたして我が子は45年後にこの体験を覚えていられるかが気になりました。仮に子ども(自分にとっては孫)が出来ていて、「自分も子供の頃、親に連れてきてもらったんだよ、その時のことは鮮明に覚えているよ」って説明ができるのでしょうか。
貴重な体験は、くだらない膨大な情報に押し流される
なぜそう思ったかというと、この日、そのあと東京に戻る際の北陸新幹線車中の1時間半をはじめ、我が子はタブレットでYouTubeに夢中の日々を送っています。日々のデジタル媒体による圧倒的な刺激と情報量(って言ってもホントくだらない動画ばかりですが)に呑まれ、稀有な体験も容易に記憶の中から押し流されてしまうのではないか、と思うのです。
こうした、YouTubeや、若者への悪影響が懸念されるSNSなどについては、私は「心の富栄養化」を進めるものだと考えています。そもそも「富栄養化」といえば、川などに窒素やリンなど、植物の栄養素になるような物質が(洗剤などの生活排水由来で)たくさん流れ込み、水質が汚染され、生態系に悪影響を与えてしまうことです。
これを、高度なデジタル社会において、人間の処理能力を超える情報量が脳に流れ込むようになってしまった結果、人間の行動や成長過程に悪影響を与えてしまうことを、比喩的に「心の富栄養化」と私は呼ぶことにしました。
と、記事を書いてみたわけですが、この言葉、当然私の造語なんですけど(google検索で、そのものを記載したページの検索結果は出ない)、今の時代らしく、AIは確実に反応して、「情報過多や過度な刺激が脳や心に注ぎ込まれすぎた結果、情報処理が追いつかなくなり、思考停止やメンタルの不調を引き起こす状態を指す現代病です。水質汚染の原因となる環境の「富栄養化」になぞらえて表現された造語です」なんて回答が出てきます。
いや、造語って、私がここに書くまで、そんなページなかったですよね?
まったく、恐ろしい時代になりました、、、。





